2024/09/30世間の学校
言葉は語る「ラーケーション」
学校といえば、勉強するところ、試験のあるところ、そして友達のいるところ。こんな
ところが、一般的な見方といえる。しかし、少子化と共に少ない子どものぶんどり合戦が
過熱し、子どもの教育に異変が生じ、塾通いの子どもが多い。そんな中で、今、小学校、
中学校、高等学校で児童、生徒が欠席扱いとならずに授業を休める制度が全国的に広がっ
ている。
それは「学習」を意味するラーニングと休暇を意味するバケーションを組み合わせた「ラ
ーケーション」と呼ばれる。学校が学びの場であることは間違いない。しかし、学びは学
校でしか出来ない訳ではない。校外での学びもあるし、家族旅行だって学びの場でもある。
吉川英治の「我以外皆我師」ではないが、誰からも、どこからでも学ぶことは出来る。本
人に学ぶ意思さえあれば、学校以外の学びの場はいくらでもあるはず。学び=学校に来る
こと、とだけ考えてしまうのは狭すぎるし、何よりも学びの多様性を無視しているのかも
しれない。
今のところ各自治体で、その取り扱いに差があるが年間 3~5 日位を欠席扱いしない自
治体が増えているようだ。学校に来なくても家族旅行で学べることもできるし、個人的に
美術館や博物館に行くのも学びであるし、「学びとは何か」を考えると学校ばかりではな
いことがわかる。これも多様化する時代の 1 つの流れなのかもしれない。
人は学びを通して成長するものだが、「学びとは何か」について真剣に議論することが
少なかったのかもしれない。先入観や、型どおりの考え方は「学び」について硬直的な思
考をもたらす。しなやかな思考は、多様性を重んじ、画一性を嫌う。みんな一緒に同じ事
をやるのは、学びの効率性の一つの形かもしれないが、それ以外の学びの方法を排除した
り否定するものではないはずだ。このラーケーションが広がってくることは、新しい学び
の展開をもたらすかもしれない。