2021/11/10世間の学校
人を読む「金澤翔子(かなざわ しょうこ)」
1985 年、書家の金澤泰子、当時 42 才(高齢出産)の時に出生。新生児期に敗血症にかかり、後にダウン症と
診断され、絶望。果たしてこの子はちゃんと育っていくのだろうか。我が子とともに死のうとも考えたが、夫
の熱心な思いから断念する。
5 歳から母の師事で書道を始める。当初は普通学級に通っていたが、小学 4 年生の時、特別支援学校へ移って
欲しいと言われ転校。そのショックで一時不登校となるも、母が般若心経を大きな紙に書かせることを思い立
ち、翔子は厳しい指導にもかかわらず、涙を流しながら書を書き続け 276 文字の般若心経を完成(これが後に
「涙の般若心経」という作品へ)。
1995 年以降は、各種の書道展で入選を果たし、2005 年に初の個展「翔子、書の世界」を銀座書廊で開催し、
メディアで取り上げられ書家として注目。鎌倉の名刹、建長寺への奉納、京都の名刹、建仁寺への奉納。
2012 年には、福島県いわき市に初の常設館「金澤翔子美術館」を開設。2012 年の大河ドラマ「平清盛」の
題字を担当。
パラリンピックは障害者に夢を与え、障害者が健常者と一体となって活躍できる舞台を提供する。金澤翔子も
ダウン症という障害あるにもめげず、健常者以上の活躍をしている。こんなすばらしい障害者の誕生は日本人
としても誇りを持って欲しい!